「2月24日 鉄道ストの日」
■はじめに
「ストは労働者の権利である。しかし、いざストをやるからには、返り血を浴びる覚悟を持て」
筆者が新入社員のころ、労組委員長から聞いた言葉です。
目 次
鉄道ストの日とは
日本の鉄道創成期、1898(明治31)年2月24日は、日本で初の鉄道ストライキが実施された日で、「鉄道ストの日」という記念日になっています。
これは日本鉄道会社の東北本線宇都宮~青森間各駅の機関手らが始発から実行したもので、翌日にはストライキが宇都宮~上野間にも及びました。
日本鉄道会社は日本で最初の民間資本による鉄道会社で、1881(明治14)年に創設され、明治24年には上野~青森間が全線開通しましたが、明治39年に国有化を経て、1987(昭和62)年の国鉄分割民営化で現在はJR東日本ですね。
■鉄道ストの日の意味と由来
労働者の組織的ストライキはそれ以前の1886(明治19)年に、甲府の生糸紡績工場で女子工員が過酷な労働に反発して発生しており、その後も大阪で同様のストライキが起こるなど、労働者が権利意識に目覚め始めた時代背景がある中、労働運動の波が日本鉄道会社へ波及したものと思われます。
事の起こりは日本鉄道福島機関部が待遇改善を要求して、待遇期成大同盟会を結成、これに対して会社側が会の指導者22人の解雇を断行したことで、これによって闘争の火ぶたが切って落とされることになります。
そもそもの要求である昇格と賃上げによる待遇改善はよくわかりますが、運転する「機関方」の呼称を「機関手」に、石炭をくべる「火夫」を「機関助手」に改称せよという、今ではちょっと首をかしげる項目もありました。
ストライキは27日に終結し、その後も継続された団体交渉は組合側の勝利と言える結果で、この直後、闘争に自信を得た機関手らは機関乗務員全員に入会義務を課す企業内組合「矯正会」を結成することになります。
以後、会社側は懐柔策や圧力など、あの手この手を繰り出し攻勢をかけたことで、労働側も分裂、再編が続き、労使の軋轢は国鉄分割民営化まで続きました。
そう言えば、JR東日本も運転士と車掌の職名を「乗務係」に変更していますね。
■鉄道ストの日のイベント
「鉄道ストの日」に思いを馳せる人たちは鬼籍に入り、この日を祝おうという若者がいるとは思えません。
■鉄道ストの日の雑学
▽争議形態あれこれ
労働争議の最終手段はストライキで、漢字では「同盟罷業」と書き、迫力満点です。
その前段は「怠業」で、みんなでぷらぷらしながら仕事をするスローダウンと、故意に欠陥品を製造したり、設備をついつい壊したりする関心しない作戦があります。
あとは組合員が職場を封鎖して、組合員以外が仕事をできないようにする「ピケ」、反対に会社側が労働者を締め出す「ロックアウト」があります。
「ピケ」だの「ロックアウト」だのは、最近は耳にすることもなくなった懐かしい言葉で、学生運動華やかりしころキャンパスで飛び交っていましたね…と、若い読者に相槌を求めてもムリですね。
▽国鉄スト権スト、8日間電車動かず
「公務員ハ争議行動ヲシテハイケマセン」というGHQ命令が代々政府に引き継がれ、「公労法」によって公務員はスト権を認められていませんでした。
中でも国鉄労組(国労、動労)は、度重なる待遇改善要求を拒否されても、ソフトな戦術で対抗するに留めていましたが、1960年代後半から赤字に転落した国鉄当局が人員合理化策まで打ち出したことで、1975(昭和50)年11月26日、ついに鉄道史上最大となる「国鉄スト権スト」が発生、ストは8日間に及び、途中、東京都交通局をはじめ横浜、名古屋など7都市の交通機関が支援ストに入ったため、日本中が大混乱しました。
後になってみれば、この大ストライキがその後の労働運動の行方を決めた分水嶺だったとも言え、「国民の切実な声が限界…闘いをいったん中止し…おわびする…」との労働側のコメントとともに悲願のスト権奪還は幻となって、労働側の惨敗との評価が定着しています。
■最後に
線路が銀色に光っているのは、毎日、無数の電車が走っているせいです。
筆者の遠い記憶では、スト突入後の3、4日で、線路にはもうサビが浮いていました。
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