「4月16日 チャップリンデー」
■はじめに
今のようにDVDで手軽に過去の名作映画を観られなかったころ、東京・日劇の地下劇場でチャップリンの映画を2~3日で次々に上映するイベントがあって、筆者は仕事の合間を縫って通ったものでした。
入場料100円見当の名画座が華やかかりしころの話です。
目 次
チャップリンデーとは
世界の映画史に名を残すイギリス出身のサー・チャールズ・スペンサー・チャップリン(1889~1977)の足跡を称えようと、誕生日である4月16日が「チャップリンデー」に制定されていますが、これも日本独自の記念日ですね。
しかし、チャップリンが大の日本びいきだったことは間違いないと伝えられており、泉下の彼も日本にこの記念日が作られたことを喜んでいるでしょう。
■チャップリンデーの意味と由来
1950年から54年にかけて吹き荒れた「赤狩り」によって、多くの映画人が迫害され、チャップリンもアメリカを追われたことは広く知られています。
チャップリンが共産党員だった事実はありませんが、多くの観客を集めた一連の映画が皮肉に満ちた社会批評だったことに、当局が過剰反応をしたためと思われます。
「モダン・タイムス」(1936年)では資本主義を揶揄し、ヒトラーを非難した「独裁者」(1940年)でもラストシーンの社会批判は共産主義演説と捉えられています。
米司法当局の怒りが決定的になったのは、大恐慌で失職した男が結婚詐欺の揚げ句に女性を殺す「殺人狂時代」(1947年)で、裁判のシーンで男が戦争を批判した「一人を殺せば殺人者だが、大勢を殺せば英雄になる」というセリフでした。
チャップリンの映画は爆笑と微笑みの繰り返しですが、その根底には社会のひずみを描く批判精神にあふれてもいます。
「赤狩り」は一種の社会的集団ヒステリーでしたが、標的は違ってもそうした兆しは今もないとは言えません。
「チャップリンデー」が映画以外に意味を持つとしたら、そうしたところなのかもしれませんね。
■チャップリンデーのイベント
様々な映画イベントを企画している「Filmeet」が4年ほど前に、「チャップリンデー」に合わせて交流イベントを開催したことがありましたが、毎年の開催ではないようです。
チャップリンデーの雑学
▽子役のギャラを親から守る「ジャッキー・クーガン法」
チャップリン最初の長編映画「キッド」(1921年)の大成功は、チャップリン自らが見つけた子役、ジャッキー・クーガン(当時7歳、1914~1984)の愛くるしい表情と天才的な演技によるところも大きかったと言われます。
この映画でジャッキー少年は一躍大スターの仲間入りを果たし、子役スターとして何本もの映画に主演し、ギャラもうなぎ上りとなりました。
しかし、ジャッキーが21歳になった時、今まで稼いだ莫大なギャラは、ギャンブル狂の母親と義理の父親が使い果たしたことが判明し、親子間の争いは裁判所に持ち込まれ大きな話題となりました。
結局、ジャッキーが取り戻せたのは12万ドルにすぎず、この事件によって子役俳優の財産保護論争が起こり、未成年の俳優が得たギャラの少なくとも15%は成人になるまで第3者の信託管理とする「ジャッキー・クーガン法」が成立することになります。
この法律の対象は財産だけではなく撮影や教育の時間にも及び、「ハリーポッター」の出演者たちは1日に3時間は映画会社が用意した教師の下で勉強しなくてはならず、また9時間半以上経過すれば撮影所を出なければなりませんでした。
▽チャップリン遺体誘拐事件
1978年、失業中のポーランド人と東欧からの亡命者の2人組によって、チャップリンの墓が掘り返され、棺が盗まれる「チャップリン遺体誘拐事件」が発生しました。
犯行はかなりズサンなもので「身代金」要求の電話は、女優であるチャップリンの娘の演技力によって引き延ばされ、やすやすと逆探知を許して逮捕されています。
遺体を盗むことは、人質の世話も不要で殺人を犯す恐れもないので、アイデアとしては斬新だったとヘンなところで評価されたという話も漏れ伝わっていますね。
■最後に
10数年前、書店にチャップリン映画のDVDシリーズが500円で並び、買い集めたことがありました。
その後、パタッと見かけなくなっておかしいと思い、聞いてみたところ、著作権侵害裁判で販売会社側が敗訴し、撤去されたことがわかりました。
最高裁はチャップリンを「映画の全体的形成に創作的に寄与した著作者」として、死後38年間の著作権保護を認めました。
しかし、2015(平成27)年にはその保護期間も終了しています。
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