「8月2日 ホコ天記念日」
■はじめに
コロナ禍の間は、東京の銀座、秋葉原、新宿の歩行者天国が当面の間中止されることになりました。
あの車から解放されたような独特のにぎわいともしばらくはお別れです。
目 次
ホコ天記念日とは
1970(昭和45)年8月2日、東京の銀座、新宿、池袋、浅草で歩行者天国が始められたことを記念し、同日は「ホコ天記念日」とされています。
しかし実際には1969(昭和44)年の夏の12日間、北海道旭川市で実験的に実施されたのが最初です。
ホコ天記念日の意味と由来
今でこそ歩行者天国は知れ渡っていますが、当時は都心の繁華街から自動車を一斉に締め出そうということでしたから、かなりセンセーショナルな試みで、銀座ではふだんの10倍、23万人の人出があったそうです。
当然ながら歩行者天国は全国的なニュースとなり、あっという間に全国規模のイベントに発展しています。
しかし、歩行者天国が若者文化の発信地になり、東京・原宿では派手な衣装で踊る「竹の子族」「ローラー族」が生まれ、アマチュアバンドが演奏する「バンドブーム」が起きたことで、騒音やゴミ問題などのトラブルが頻発して社会問題になってしまいます。
このため原宿の歩行者天国は1998(平成10)年、全面的に廃止され、各地の歩行者天国も一時の熱気を失ったようにも思えます。
■ホコ天記念日のイベント
東京・銀座では毎年8月の第1日曜日にホコ天記念イベントを実施、銀座通りを会場に大抽選会や氷の彫刻などで、あらためて歩行者天国の楽しさを味わってもらう試みが続けられていますね。
ホコ天記念日の雑学
▽銀座から上野まで、世界最長の歩行者天国
1973(昭和48)年6月10日、銀座から上野まで5.5kmの歩行者天国が実施され、こちらは「歩行者天国の日」に制定されています。
これは当時世界最長の歩行者天国で、高度経済成長時代の自動車急増による事故多発や環境問題への配慮のために、車優先から歩行者優先の交通意識を高めてもらおうと実施されました。
しかし、1999年に神田地区で中止されたのをはじめ、2001年には上野・御徒町、日本橋・京橋地区が中止されたことで、秋葉原と銀座が残るだけとなり、また同時期に渋谷、池袋も中止となるなど、歩行者天国の縮小が相次ぎました。
その原因は先の騒音やゴミ問題に加え、風紀の乱れや周辺道路で自動車の渋滞が激化したことが挙げられています。
▽世界の歩行者天国
世界初の歩行者天国とされているのがオランダ・ロッテルダム市中心部の商店街で、車道をなくして歩行者専用として設計された道路です。
道の両側には街路樹と花壇が続き、道路上のカフェテラスが大人気だそうです。
2019年6月、ニューヨークのタイムズスクエアでは、歩行者天国のNY版「車両禁止区域」導入10周年を祝う記念イベントが開催されました。
かつてこの制度を導入する動きに対し、当時の市長はいい顔をしなかったそうですが、後継市長は積極的に「広場化」を推進、タイムズスクエア以外のブロードウエーやワシントンハイツなどにも拡大し、実施も年4回と増やしています。
今後、さらにロックフェラーセンターやトランプタワー周辺にまで広げようとする動きもありますが、日本同様に交通渋滞や風紀の乱れ、観光客への迷惑行為などが目立ち始め、思うように計画は進んでいません。
ヨーロッパで最長の歩行者天国と言われるのがフランス・ボルドー市のサント・カトリーヌ通りで230を超すお店が立ち並び、2月と7月に開催される古物市は季節の風物詩で、驚くほどの人出になるそうです。
■最後に
銀座の歩行者天国発足のころ、筆者も出かけてみましたが、普段は歩くことのないセンターライン上をたどると、なぜか解放されたような気分になりました。
両脇の建物も見上げる角度が違って、また新鮮な景色でもありました。
しかし、交差する幹線道路は歩行者天国ではないので、背後からエンジン音やクラクションが聞こえるたびにギョッとさせられたものでした。
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