「2月11日 わんこそば記念日」
■はじめに
その昔、東北旅行で盛岡に立ち寄った際、話のタネにわんこそばを食べてみました。
今では、ただただせわしなかったことと、食事をしたというよりイベントだったという記憶が残っているだけですね。
目 次
わんこそば記念日とは
2月11日はわんこそば全日本大会運営委員会が制定した「わんこそば記念日」になります。
同委員会の名前の通り、毎年開催される「わんこそば全日本大会」は1957(昭和32)年から続く息の長いイベントで、1980年から開催日が2月11日に固定されたことによって、同日が「わんこそば記念日」と制定されました。
■わんこそば記念日の意味と由来
わんこそばという名前は有名でも、盛岡や花巻市近辺に行かないと食べられないので、どんなものかの見当はついても実際にわんこそばの「せわしなさ」を体験したことのある人はそう多くはないだろうと思います。
わんこそばはひとくち分に小分けされた温かいそばを「わんこ」と呼ばれる小さなお椀に入れて一気に食べるもので、店によって違いますが、約8~15椀分が一般的なそばの1人前と言われます。
薬味はカツオブシやネギ、わさびなどバリエーションを富ませることで飽きないように工夫されています。
ただし、つゆを飲んでしまうとそばをたくさん食べられなくなってしまいます。
わんこそばを食べる様子はニュースなどで紹介されることもあってよく知られている通り、傍らに立つ給仕の女性がひと椀食べるごとに威勢のいい掛け声とともに次々とお椀にそばを投入するので、休む間もなく食べ続けるしかありません。
もうギブアップとなれば、お椀のフタを閉じることでカンベンしてもらえるという具合です。
■わんこそば記念日のイベント
わんこそば全日本大会は制限時間5分で、1椀10gのそばを何杯食べられるかを競い、男女各個人や団体、男女ペア、小学生などの部門に分かれ、優勝者には横綱の称号と温泉宿泊券などがプレゼントされます。
今のところ、公認最高記録は5分間で258杯ですが、時間制限のないころに559杯という記録も残されています。
コロナ禍で2020、2021年は開催中止となりましたが、2022年からは小学生の部を除き、無事に開催されることが決まったようです。
わんこそば記念日の雑学
▽わんこそばの発祥3説
わんこそばの発祥については3説あって、今となってはどの説が正しいのかは確かめようもありません。
まずは「風習説」で、岩手では冠婚葬祭の締めにはそばを振る舞う風習がありましたが、大人数ともなればそばをゆでるのが間に合わないので、ひとりひとりに少量ずつ出し、お代わりしてもらうようになっていました。
この少量とお代わりに、時間の要素が加わって、今のわんこそばが出来上がったというわけですね。
次に「花巻説」で、これは江戸時代に南部藩の殿様が花巻に立ち寄った際、殿様の口に合うかどうか心配で、少量のそばを漆のお椀に入れて供したところ、殿様はたいへん気に入って何杯もお代わりしたことが発祥とする説です。
最後は「盛岡説」で、19代の首相である原敬が地元盛岡に帰省した折、そばを食べ終わって「そばはわんこに限る」と言ったのが由来だそうですが、これはちょっと条件が弱そうですね。
▽日本3大そば
日本人は「記念日」が大好きですが、同じくらい日本3大夜景や今年の十代ニュースなど、「〇大なんとか」を決めないと気が済まないようです。
岩手県のわんこそば、長野県の戸隠そば、島根県の出雲そばと並んで「日本3大そば」と称されています。
戸隠そばは甘皮を取らないで挽く「挽きぐるみ」と、円を描くように盛り付ける「ぼっち盛り」が特徴で、海のない長野で生まれたことから海苔をかけませんね。
出雲そばは急須のような容器につゆが入っており、そばにつゆをかけて食べるのが特徴で、冷たい割子そばと温かい釜揚げそばがありますが、出雲そばと言えば割子そばを言うのが一般的ですね。
▽江戸前3大そば
東京にも御三家と呼ばれる「江戸前3大そば」があって、これはそれぞれ1軒のそば屋がのれん分けして、今日の「藪」「更科」「砂場」の御三家に至っています。
「藪」はつゆが濃く、下町の「粋」を代表するブランドで、「更科」は長野がルーツの色白そば、最近はあまり見かけない「砂場」は大阪が発祥で、「ざるそば」と「もりそば」は異なる製法で打ち分けているそうです。
■最後に
故小沢昭一氏のエッセーにこんな一節がありました。
長患いの患者が退院する際、医者に「やっと好物のそばが食べられる」と言ったところ、医者は「病院の向かいにおいしい更科そばの店がありますよ」と答えたそうな。
患者いわく「ヤブが更科をほめるのは初めて聞いた」。
細部はうろ覚えですが、そんな一席でした。
2月11日は何の日?誕生日の有名人や星座、花言葉・運勢・性格は
他にもおもしろい記念日がたくさんあります!