「1月27日 国旗制定記念日」
■はじめに
「日の丸」に対する愛着は、日本人の遺伝子に組み込まれているんでしょうか。
日の丸の在り方、扱い方のイデオロギーの対立はあっても、日の丸そのものに疑問を投げかける人はいませんね。
シンプルだけどインパクトがあって、しかし、ちゃんと描くのはけっこう難しいんですよ。
目 次
■国旗制定記念日とは
1894(明治27)年1月27日、太政官布告の商船規則によって「日の丸」が日本の国旗として制定されたことを記念し、国旗協会が「国旗制定記念日」と定めたものです。
通称「日の丸」、正式には「日章旗」と言います。
1999年にいろいろ揉めて成立した「国旗国歌法」、これも正式には「国旗及び国歌に関する法律」ですが、これに日の丸の仕様がきちんと決められていて、適当に赤いマルを書けばいいというものではありません。
旗の縦横比率は2:3、マルの直径は旗の縦の長さの5分の3で、旗の中心に位置して、地は白、マルは紅色という規定で、大きさと材質に決まりはありません。
これは1894年の日の丸サイズから少し変更されています。
■国旗制定記念日の意味と由来
日の丸が国旗として定められる以前から、日の丸は大衆に認知されたデザインだったようです。
話は相当古くなりますが、聖徳太子の文書に「日出ずる国」という記述があることから、日の丸は日の出の太陽を象徴し、「日ノ本」という国名からも太陽、日の出、日が昇ることを強く意識していたようです。
赤は博愛と活力、白は神聖と純潔を意味し、紅白は伝統色で「めでたいもの」とされています。
世界中の歴史に目を向けても、太陽を赤で描くことは珍しくて、ほとんどは黄色か金色です。
源平合戦で平氏は赤地に金色のマル、源氏は白地に赤マルだったそうで、源氏の勝利によって「白地赤丸」が武家政権の象徴になったという説が有力ですが、さて、どうなんでしょう。
そして、時は幕末、島津斉彬が新造船の旗印として白帆に日の丸を描き、これが対外的に初の日の丸デビューとなりました。
■国旗制定記念日のイベント
1月27日は確かに最初に日の丸が国旗として制定された日ですが、明治の太政官布告や商船規則なんて、一般人には知ったこっちゃないので、日の丸は人それぞれの心情的な国旗として浸透していました。
なにやら自衛隊のようで、それでいいとも思うんですが、1999年8月13日に法律として公布されてしまったので、どうも商船規則のほうは影が薄くなってしまいました。
それに国旗とか国歌とか制定とかのイベントで、なにも制定反対派の「寝た子」を起こすこともない…かどうかは知りませんが、毎年のこの日は何事もなく過ぎています。
お正月の一般参賀で国旗協会が小さな日の丸を配っていますが、他にどんな活動をしているのかわかりません。
設立の趣旨に「国を象徴する国旗の正しい理解と普及を目的」とあるので、たまには派手にドーンとイベントでもやってみてはいかがでしょうか。
■国旗制定記念日の雑学
▽日の丸の歌を知らない人はいないと思いますが、これも時代のせいで微妙に歌詞が変化しています。
(1911年)
1番 白地に赤く日の丸染めて、ああ美しや、日本の旗は。
2番 朝日の昇る勢ひ見せて、ああ勇ましや、日本の旗は。
(1941年)
1番 アオゾラ タカク ヒノマル アゲテ、アア、ウツクシイ、ニホンノ ハタハ。
2番 アサヒノ ノボル イキホヒ ミセテ、アア、イサマシイ、ニホンノ ハタハ。
(2次大戦以降)
1番 白地に赤く 日の丸染めて. ああ美しい 日本の旗は
2番 青空高く 日の丸揚げて. ああ美しい 日本の旗は
▽国旗掲揚の仕方
私の育った田舎は祝日になると、家々の門に日の丸が並んだものでしたが、都市部の家で見かけることはまずありません。
個人の家で掲揚する場合でも、一応の決まりがあるそうです。
夜の掲揚はダメで、日の出から日没まで、雨の日もいけません。
また、外から家に向かって左側に掲揚し、マンションのベランダの場合は、旗竿を水平あるいは斜めに差し出すように掲げ、旗が地面や床に触れてはいけません。
マンション用の小型の国旗や、マグネットで鉄製ドアに取り付けられるものもあるそうですが、そこまでして国旗掲揚する人ってどのくらいいるんでしょう。
その他、半旗の場合はもっと細かい手順があって、これらは国旗協会発行の小冊子に書いてあります。
おお、国旗協会はそんな活動もやっているんですね!
■まとめ
言葉にはしなくても、多くの日本人は「日の丸」を愛する心を持っていると思うんですが、一部で日の丸を「愛国心」と結びつけようという動きも見られます。
日の丸は心の内にあるもの、愛国心の道具にしてはなりません。
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